副住職の1ヶ月日記

副住職の1ヶ月日記

令和5年12月

日蓮聖人のお手紙より 弟子の知らぬ事を教えたるが師

=師を求めよう=

人生という道に迷った時に頼りになるのが、道しるべを示してくれる「師」の存在です。

SNSなどで情報があふれ、現代人は何が本当なのか困惑してしまいがちです。経済的利益のみを追求し、時間に追われる人。人間関係に疲れ、生きる喜び・やりがい・目標を失ってしまった人。私たちはみな苦しみや悩みを抱えて生きています。

人生に疲れ切って動けなくなる前に、周りの人に道を尋ねましょう。相談したり、助けを求めましょう。その人は年上の人であるとは限りません、あなたより若い人かもしれません。凝り固まった先入観を打ち破り、あなたの知らない考え方や進むべき方向を示してくれる人が「師」です。「師」とは人生観を共有する友でもある可能性もあります。人生は成長の旅。良き「師」との出会いがきっとあなたの人生を豊かにします。

令和5年11月

~日蓮聖人のお言葉から~ 師子王ししおうは百獣にをじず(怖ぢず)

=怖れない心=

「大丈夫! 自分が今までやってきたことを信じて頑張れ! みんながついてるぞ!」。物事に取り組む時、不安に駆られ、ひるんでしまった経験は、誰にでもあることでしょう。私にも学生時代、試合に臨む時にコーチにそう励まされておじけづいた自分の心を奮い立たせたことがありました。

自分の力が信じられなくなったり、自分には味方がいないのだと思い込んでしまうと、人はどんどん弱気になってしまいます。でも人生には勇気を持って突き進んでいかなければならない場面がたくさんあります。そんな時は自分を信じてみましょう。不思議と目に見えない力が働くことがあります。不信感や孤独感に陥ることなく、百獣の王・ライオンのような、いざというときに怖れない心・ひるまない心を養っていきましょう。

令和5年10月

~日蓮聖人のお言葉から~ くろがねやくにいたうきたわざればきず隠れてみえず

=試練=

物事に一生懸命に取り組めば取り組むほど、課題や障害がたくさん浮上して、前に進めなくなる時があります。たとえば、何度も練りに練った企画書にダメ出しをされたり、苦情を受けたり...。人生はうまくいかないことばかり。試練の連続です。

そんな時、まず心得ておきたいのは、「自分は完璧ではない」ということです。必要以上に落ち込まず、ありのままに受け止めましょう。

原料から鉄を作る時は高温で熱します。そうしないと不純物が取り出せず、良い鉄ができないのです。これと同じように私たちも一生懸命物事に取り組むことで鍛えられ、試練を乗り越えて味のある人間として成長していくことができるのです。

完璧な人などいません。逆にいえば、成長できる伸びしろがたくさんあるということなのです。1歩1歩ゆっくり進んでいけばいいんです。

令和5年9月

~日蓮聖人のお言葉から~ 生死しょうじを離るる身とならんと思ひて候

=人生の目的=

「生まれて来なければよかった…」。「どうせ死ぬのに何で生きなきゃならないんだろう?」。生きていくということは大変です。時に私たちは生きる目的を見失います。そんな時どうしたらいいのでしょうか?

悩んでいるのはあなただけではありません。深呼吸をして、空を見上げましょう。自然に身をゆだね草花のいのちを感じ、虫の声に耳を傾けましょう。気持ちが楽になる人に会いに行きましょう。みんな精一杯生きています。生きる力が湧いてくるのをゆっくり待ちましょう。

生死の悩みは永遠の課題です。お釈迦さまは「いのち」を、三世(過去・現在・未来)に生きる永遠のものとします。人の行動や言葉は誰かとの「つながり(縁)」となって永遠にあなたの「いのち」として生きることになるのです。私たちは素晴らしいことで悩んでいるのです。今日も素晴らしい1日を生き切りましょう!

令和5年8月

~日蓮聖人のお言葉から~ 餓鬼がきごうを火と見る

=ものの見方=

100円玉は丸くみえますよね。では貯金箱の穴は? そう、四角です。100円玉を横から見ると四角だからです。100円玉は「丸」でもあり「四角」でもあります。

表題の文章は「私たちの心が物に飢えた餓鬼の状態だと水も火に見えてしまいますよ」いう喩えです。心の状態が安定していないと物事を偏った見方しかできなくなってしまうのです。

「正解依存症」という言葉があります。自分なりの「正解」を見つけると、それを疑うことができなくなり、他人にも自分の正解を押し付けて、自分なりの「正解」以外は受け付けることができない状態になることだそうです。

100円玉が「丸」でも「四角」でもあるように、日常生活のさまざまな出来事をいろいろな角度から見てみましょう。人それぞれの価値観や多様性を認める豊かな心が育まれます。

令和5年7月

~日蓮聖人のお手紙より~ 父母の恩のおもき事は大海のごとし

=恩を返す=

世の中が複雑多様化しても、変わらない思いや変えられない道理があります。

それは感謝の心です。

それを伝える「ありがとう」は、有り得ることが難しいという言葉です。

人との出会いや物との巡り合い、そして生まれ出でること。

すべてが何千、何万、何億分の1という確率で、そこに存在するから、有ることが難しい…だから有り難い。

今ある自分の存在もまた有ること難しです。

そんな自分を世に出してくれた親を大切にしましょう。

気付いているならそれでよし。

いま気付かなくても必ずそれに感謝する時がきます。

その時その広さ、深さ、重みを身に刻みましょう。

自分の手足に触れてみましょう。

鏡の前の自分を見ましょう。

それは全部親からの贈り物です。

有り難い自分を大切にしましょう。

あなたがあなた自身を大切にすれば、亡き親であれ、健在の親であれ、それが一番の恩返しとなるはずです。

令和5年6月

~日蓮聖人のお手紙より~ 各々おのおの思ひ切りたま

=思い切りよく=

朝起きたらまず何をしますか? 歯を磨きますか? 顔を洗いますか?

こんな日常の些細なことでも私たちはその都度決断しています。ケンブリッジ大学での研究によると私たちは1日に3万5千回も決断をしているそうです。人生はさまざまな決断の連続なのです。

思い切りよく決断できるにこしたことはありません。でも迷いが生じて、煮え切らないこともあります。気持ちの整理がつかず混乱し、時にはやる気や元気を失ったりします。そんな時、あなた自身と周囲の皆がワクワク笑顔になれるかどうかを判断基準にしてみませんか?

それでもダメだったら、やっぱりこちらも思い切りよく、ゆっくり時期を待つという決断をしてみましょう。

悩み迷うことは自分が成長しようとしている証拠です。思い切れる時は必ず来ますよ。

令和5年5月

~日蓮聖人のお言葉より~ 八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり

=しなやかな心で=

褒められれば有頂天になり、文句をいわれれば怒り、時にはへこんだり…。何かとストレスがたまる現代社会です。

私たちの身の回りには8つの風が吹いているといわれています。喜んだり、しょげたり、傷付けられたり、感謝されたり、尊敬されたり、陰口をたたかれたり、辛くなったり、楽しくなったり…。良い風の日も嫌な風が吹く日もあるのが人生です。

生きていればいろいろなことがありますが、それを乗り越えていくのは、何事にも動じない頑強な心ばかりではありません。どうしようもない悩みや苦しみは1人で抱えず、お寺や公的機関、周りの人に相談してみるのも方法です。

木の枝は頑強なほど折れやすいのです。どんな風とも仲良くできる枝垂れ桜のように、柳のように、しなやかにしなやかに生きていきましょう。

令和5年4月

異体同心なれば
  万事を成じ、
 同体異心なれば
   諸事叶う事なし
日蓮聖人のおことばより

三月二十二日、野球のWBC(ワールドベースボールクラシック)に於いて、日本代表が決勝戦でアメリカを下し見事に優勝しました。普段は別々に所属する球団でプレーする選手達が集まり、更に日系初のメジャーリーガーも合流するともなると、上手く結束するのかと不安もありましたが、選手達は年齢や言葉の壁なども乗り越え、最高の結果を私達にもたらせてくれました。

日蓮聖人の言葉にもあるように、(体は違っていても精神・目指すところ・心が一緒なら物事は必ず成功し、一つの体・一人の心であっても心が二つ・三つに動き乱れ、精神が統一されていないときは何事も成功しない。)とあります。まさしく今回の大会は選手・スタッフが異体同心の精神で戦えたことによって出来た優勝であったと思います。

このことは会社・学校・地域社会・日本国・世界でも同じ事だと思います。未だウクライナでは戦争が続いていますが、全世界の人々が平和を願う心が一つとなり、戦争のない平和な世の中になるように願うところです。

南無妙法蓮華経

令和5年3月

くらたからよりも
  たからすぐれたり
たからより
  こころたから第一だいいちなり
日蓮聖人のことば

厳しい冬を越え、春の訪れを感じる季節となりました。「暑さ寒さも彼岸まで」誰もがそれを聞くとホッとするのではないでしょうか。「春夏秋冬」四季の移り変わりは、日本人特有の生活様式を生み出し、素晴らしい環境と柔軟な国民性を育みました。

暑い夏も、実りの秋を迎える為に必要不可欠であり、寒い冬も、暖かい春が来るから耐えられる。それは私たちの人生も同じではないでしょうか。

人間誰しも生きていれば辛いことの多いのが人生です。これを乗り越えてこそ人間的に大きく成長し、かけがえのない心の財となるのです。

お彼岸は七日間あります。七日間の真ん中は「中日」といい春分の日です。忙しい毎日を過ごす現代人は、自分の心を見つめる時間が乏しいと言われます。せめて七日間の一日だけでも、ご先祖のお墓参りをし、手を合わせて静かに自分の心を見つめてみませんか。

令和5年2月

日蓮聖人のお手紙より
この生を空しうすることなかれ

=誰かのために=

みんなそれぞれの立場で懸命に生きています。健康な人であれ、病気の人であれ、本当にそう思います。善をなして悪をなさない人はなおさらです。仕事や家事、育児、介護、勉強、鍛錬…。すべて誰かのためになろうとする善です。

反対に悪とは故意に誰かに迷惑をかけること、また人や生き物などの心身を傷つけることです。それは自分の「生」の価値を下げます。そんなことをしなくても個々に価値は十分にあります。気づかないだけで一生懸命生きている別の側面が必ずあるからです。それがわかれば世の中はどんどん良くなっていくでしょう。

時には自分の存在を空しく思うこともあるでしょう。でもやっぱり明日も生きていかなくてはなりません。誰も傷つけず、逆に誰かを助けながら、ともに生きていきましょう。

令和5年1月

今本時の娑婆世界は
三災を離れ 四劫を出でたる
常住の浄土なり

仏すでに過去にも滅せず
未来にも生ぜず
所化もって同体なり
『観心本尊抄』
日蓮聖人のおことばより

「娑婆世界」とは、わたしたち人類が誕生してから現代に至るまでの、国土すなわち、この世の中のことをいいます。

お釈迦さまは、辛くて、苦しいこの地球上を選ばれ生まれました。そして人々に心のやすらぎを今も変わらずにお説きになっています。

この世の中は、お釈迦さまの教えが人々の心に通じたならば、三災といって地球に及ぼす、火・水・風という大災に遭っても破壊されることなく、また四劫という地球上における世界の誕生から始まり、あらゆる原因によって世界が消滅にいたるまでのとてつもない時間上に、永遠の御仏として未来永劫、お釈迦さまは存在し続けるというのです。

お釈迦さまの存在とは、見える姿ではありません。
お釈迦さまの「こころ」、つまり心は常に私たちのすぐそばにあるというのです。

これこそ、「妙法蓮華経」のお題目そのものです。

「無常」であるのがこの世の中です。現実は明らかに我が身に容赦なく降りかかってくるものです。

この三年間にわたるコロナ禍で失いつつあることを改めて見つめ直し、今の本時、この時代をどう生きるかを真剣に一人ひとりが考えなければならないのは今なのです。